【9年熟成、鶯宿梅の幻の梅干し】

鶯宿梅は、平安時代に詠まれた「鶯宿梅」という有名な歌の題材になっている、1200年の伝統を誇る古来品種の梅です。

 

鶯宿梅の現存する老木には、樹齢にして400年を超すものもあるといわれています。他の品種の半分程しか実りませんが、その一粒一粒に存分に吸い上げた土の滋養が凝縮されています。この歴史ある日本古来種の鶯宿梅を、有機の滋養に満ちた大地で無農薬栽培し、同じく無農薬の紫シソ、天日塩だけを原料に、先祖伝来の製法に従い、9年間樽の中でじっくり熟成させたのが、今回お届けする梅干しです。

 

9年という歳月は、梅の薬効を高めながらも古漬けとしての梅のおいしさが熟成する特別な年月です。また古来製法による樽漬けなので、3年漬けの梅などと比べて貫禄のある香りがあり、梅のもつ酸味が旨味へと調和し、馴染むタイミングまで漬け上げています。例え台風に裂かれながらも、ゆったり50年以上も生き続け、サルノコシカケを蓄える程に育った「鶯宿梅」の“結晶”としての逸品です。

 

 

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        <限定10個販売> 内容量200g

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出品者

梅は、私の人生そのもの –徳重文子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七つまでは、どうか生きて。

親がそう祈るほどの虚弱体質で産まれました。五人兄弟の中で、私ひとりだけ外に出ることができず、いつも障子越しに、蝶や目白や風にゆれる木々の陰を見て過ごしていました。そんな私にとって、梅は小さい頃から何度も助けてくれた相棒です。

 

飲む、貼る、塗る。

子どもの頃、梅は主食であり、私にはお薬でもありました。梅のおかげか、身体が弱いなりにも成人し、結婚。2人の子どもにも恵まれました。しかし、25歳の時に結核を患い子連れ離婚。運良く命だけは助かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅を信じること。

結核は逃れたものの、気管支喘息にはその後も苦しみ、四十代後半でまた入院。副腎皮質ホルモンも効かなくなり、この時ばかりは、死を感じました。藁にもすがる気持ちで、梅肉エキスを作って飲み始めた一週間後。やっと横になることができた時は「助かった!」とポロポロと涙がこぼれたのを忘れません。

あの時、自分を救ってくれたのは梅だと信じています。

その後、子宮筋腫の手術をしたり、九十歳で骨折した母を六年間看ながら昼夜を問わず働き続けましたが、喘息はもちろん、風邪ひとつひいてません。

戦中、戦後と私にとって、いつの世も人々の健康を守ってくれる食べ物は梅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

50年を超える時を経て。

梅を自分で作り始めたのは、33歳の時ですが、これまでクリーニング業、養鶏、畜産業、下着の販売事業と、梅からはかけはなれた事業を自分で経営してきました。梅に専念できるようになったのは、62歳の時です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の梅。

温暖な宮崎県都城で、周辺からの農薬も被らない三方を山に囲まれた土地に梅園を開拓。まずは健康な土を育てることから始めます。微生物の働きによって、土壌が呼吸をするミネラルたっぷりのふかふかの土。

それはまる蒸した芋をさすかのごとく、細い棒を刺すとズブズブと土中1m20cm近く吸い込まれていきます。梅の品質を追求するために、徹底した自然の摂理や、人間や動植物の命の原理まで学びました。

私の梅干しの原料は、自家生産の梅と、シソ、天日干しの海水塩だけで加工します。(その他添加物等、一切使用していません)現在7haの梅園に、平成27年現在、樹齢53年の在来品種「鶯宿梅」の老木約550本をはじめ、樹齢2年から25年の育成園まで含め、約2500本を生産し、梅干、梅肉エキス、梅シロップ漬け等を加工、販売しています。

 

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